歴史が息づく街 枚方宿

散歩・ハイキング

撮影日:2020年2月23日(日)

江戸時代徳川幕府は、17世紀初頭から全国的に街道整備・宿駅設置を進め、東海道の延長として伏見・淀・枚方・守口の4宿を設けました。
枚方宿は、東見附から西見附まで797間(約1.5㎞)、問屋場・本陣のほか旅籠や商家など多くの町家が軒を連ねて宿場町としての賑わいを見せました。
紀伊徳川家は、藩主吉宗が八代将軍に就いた後、六代藩主宗直の寛保元年(1741)の参勤交代から、大坂・京に将軍家の権威を示すために東海道を通ることが多くなり、参府・帰国とも枚方宿に宿泊することを常としていました。
また、枚方は淀川水運の中継港で米や河内木綿、菜種など物資の集散地であったため、在郷町としても繁栄し人と物が行き交う水陸交通の要衝として重要な役割を果たしました。
その名残で今でも町家は残っています。
街道筋には町家が点在し、出格子や虫籠窓、袖うだつなど重厚な佇まいが宿場町の面影を今に伝えています。

西見附から東見附にかけて散策しました。

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枚方宿(大阪府枚方市)

出格子や虫籠窓となっています。

枚方宿鍵屋資料館です。

本陣跡がある場所は、三矢公園となっています。

本陣跡にある灯籠

東見附の手前 新町の路地風景です。

東見附まで来ました。

西見附より国道170号よりに水面回廊があります。

淀川を行き来していた三十石舟のモニュメントです。

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